地名のゆらい
五十嵐篤好(いがらしあつよし)
東五位にはすばらしい偉人(いじん、りっぱなことをなしとげたひと)がいます。
五十嵐篤好という人は江戸末期の学者さんです。篤好にかんする古文書が、東五位小学校に保管されていて、現在は市立中央図書館に保管されています。

東五位小学校は、明治10年、五十嵐さんの家を借りて開校したのがはじまりです。

いいつたえ
篤好と用水
五十嵐篤好は算学、農学、国学など多くを研究し、書物も数多く残されています。篤好はただ勉強が好きだったわけでなく、人々のくらしが少しでもよくなるように、特に農民を助けるため、理由のない3度の刑にもめげず、一生を農業改良にささげました。特に、大沢野町につくりあげた舟倉野用水は一番の大仕事でした。
舟倉野は非常に水の便が悪く、用水をつくるには大変な労力と時間をついやさなければなりませんでした。難しい工事のためにあやまってけがをしたり、死んでしまった人もいたぐらいでした。そして8年の月日をかけ、ようやく完成しました。
完成の次の年、はじめてこの用水を使って育った稲がとれました。農民たちは大いに喜び、篤好のほか用水工事の責任者たちをよんでお祝いの宴(うたげ)を行いました。みなお酒を飲んで楽しんでいるところ、10数人の役人たちが急に土足で入ってきた。
シーンとなった皆に向かって役人は次のように言った。「用水工事は大変であったとはいえ、予定していた3倍ものお金をつかい、加賀はんに多大なめいわくをかけた。よって、篤好は島流しにする。」
用水工事におおきな功績をのこした篤好がなぜつかまってしまったのか、誰もがなっとくがいきませんでした。
舟倉用水は今もたくさんの田んぼに水を流し、農家のくらしをささえつづけています。

こんなところがあるよ
備荒倉(びこうそう)の石ひ
篤好の墓


六家の田畑のいっかくにたっています。備荒倉とは、天気が悪く米がまったくとれなくなっても困らないように、お米などをためておくために篤好が考え、自分のお金を使ってつくったものです。 これにならって、備荒倉はあちこちでつくられるようになりました。


元は東五位小学校の敷地内にありましたが、その後、今の地に移され残されています。

クイズ
和田から立野にぬける旧北陸道の祖父川にかかる橋でいい伝えによってつけられた橋の名前は?

答 え