|
地名のゆらい
|
||
|
|
いいつたえ
|
|
| ■篤好と用水 五十嵐篤好は算学、農学、国学など多くを研究し、書物も数多く残されています。篤好はただ勉強が好きだったわけでなく、人々のくらしが少しでもよくなるように、特に農民を助けるため、理由のない3度の刑にもめげず、一生を農業改良にささげました。特に、大沢野町につくりあげた舟倉野用水は一番の大仕事でした。 舟倉野は非常に水の便が悪く、用水をつくるには大変な労力と時間をついやさなければなりませんでした。難しい工事のためにあやまってけがをしたり、死んでしまった人もいたぐらいでした。そして8年の月日をかけ、ようやく完成しました。 完成の次の年、はじめてこの用水を使って育った稲がとれました。農民たちは大いに喜び、篤好のほか用水工事の責任者たちをよんでお祝いの宴(うたげ)を行いました。みなお酒を飲んで楽しんでいるところ、10数人の役人たちが急に土足で入ってきた。 シーンとなった皆に向かって役人は次のように言った。「用水工事は大変であったとはいえ、予定していた3倍ものお金をつかい、加賀はんに多大なめいわくをかけた。よって、篤好は島流しにする。」 用水工事におおきな功績をのこした篤好がなぜつかまってしまったのか、誰もがなっとくがいきませんでした。 舟倉用水は今もたくさんの田んぼに水を流し、農家のくらしをささえつづけています。 |
|
こんなところがあるよ
|
|
|
備荒倉(びこうそう)の石ひ
|
篤好の墓
|
|
クイズ
|
| 和田から立野にぬける旧北陸道の祖父川にかかる橋でいい伝えによってつけられた橋の名前は? 答 え |