地名のゆらい
二塚
むかし、越後の国のあきんどが、越中を通り加賀の白山ひめ神社へ「金のおふだ」と「金のとり」をみつぎ物として持っていくとちゅう、病のために動けなくなってしまった。
あきんどは、もはや神社へは行けないと思い村人に「このみつぎ物をここのお宮さんにまつってください。」と言って死んでしまった。
村人は二つの塚にそれぞれ「金のおふだ」と「金のとり」をうめて、あきんどののぞみをかなえてやりました。 この二つの塚から、ここを二塚と呼ぶようになりました。
塚とは多くの墓という意味です。

いいつたえ
恒性皇子(こうしょうおうじ)の墓
  悪皇子(あくおうじ)の宮

ごだいご天皇のこども、恒性皇子は南北朝といういくさの時代にあらぬうたがいをかけられ、京から二塚に流されてきました。
そして悪王寺の宮に閉じこめられ、いくさがいよいよはげしくなったとき、理由もなく殺されてしまいました。

三ヶ首(さんがくび)・皇子三昧(みこざんまい)
恒性皇子が殺されたとき、三人のお供のものもいっしょに殺されてしまいました。その首をさらしたところを三ヶ首といわれ、皇子を火葬(かそう)したところを皇子三昧と言われています。
皇子を殺したさむらいたちは、わずか一週間後、いくさでみんな死んでしまいました。因果応報(いんがおうほう)と言うことでしょうか。

こんなところがあるよ
浄誓寺
むかし、二塚に城があったとき、城の殿さまが2個のつりがねを作らせました。ひとつはお城に、ひとつは寺にわたしたが時がたつにつれ、無くなってしまいました。 そして数十年前、二塚で用水の工事が行われ、ぐうぜんにもつりがねがほり出された。その場所を鐘堀と名付け、その鐘は浄誓寺のつりがねになっています。浄誓寺の鐘はほかとは違う少し変わった音色がします。聞きに行ってみよう。

クイズ
富山県で最初にできた鉄道は?

答 え