地名のゆらい
義経岩(よしつねいわ)伝説
源義経と弁慶(べんけい)の伝説は日本中いたるところにありますが、県内でも雨晴は有名です。
義経が東北に落ちのびる途中に雨にあいました。弁慶は雨をしのぐため、大岩を持ち上げて岩屋をつくったのが、義経岩です。
そこで雨が晴れるのを待ったことから「雨晴(あまはらし)」という地名がつきました。

いいつたえ
海に消えた村
海に浮かぶ雨晴の、男岩、女岩はむかしは陸地だったのです。この近くには今では、横田町にある有磯神社がありましたし、もうすこし沖の方には八まん村や、くら浜村といってたくさんの人も住んでいたのです。
聞くところによると、これらはみな、大地震によって一夜のうちに沈んでしまったということです。

 ●もみじ姫の墓
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こんなところがあるよ
国泰寺
臨済宗(りんざいしゅう)の本山は13あって、そのひとつが国泰寺です。禅を組んで修行をするお寺です。毎年、6月の開山忌(かいざんち)には大ぜいの虚無僧(こむそう)が集まり、尺八やお経を読みます。
境内にはおしゃかさまの足形を石にきざんだ仏足石があります。
雨晴海岸から見る立山連峰(れんぽう)
万葉集に「渋谷(しぶたに)」と詠まれた国定公園雨晴海岸は、日本の渚百選の一つにも選ばれている景勝の地です。雨晴海岸からは富山湾越に3000メートル級の立山連峰を望むことができます。特に春には残雪の白い山々が海の上に浮かび、その美しさに誰もが目をうばわれます。海の向こうに3000メートル以上の山々が見えるところは、世界中でもチリのバルパライソ市の海岸に一ヵ所と、ここ雨晴しかありません。
武田(たけだ)家住宅
戦国の武将武田信玄の弟信綱(のぶつな)の末裔(まつえい)と伝えられる肝煎(きもいり)の家柄で、この地方特有の屋根形式が重厚な約200年前の住宅です。
首切り地蔵
JR雨晴駅の北側の松林の小さな堂の中にあります。
その昔、上杉謙信(うえすぎけんしん)が森寺城を攻めようとして軍船をつらねてやって来たところ、途中で船が動かなくなりました。そこで謙信の武将が上陸して調べたところ、一体の地蔵がニコニコと笑っているのです。
武将は、この地蔵のしわざに違いないと一刀のもとにその首を切り落としたところ、船がたちまち前進したという伝説が残されています。

クイズ
国泰寺がそのはじまりとされる西田(さいだ)地区の名物料理は何でしょう。

答 え