地名のゆらい
金屋
高岡の町を開いた前田利長は町の産業の発展のため、西部金屋村(今の戸出西部金屋)から鋳物師(いもじ、いもの職人のこと)7人を呼び寄せて、この地に住まわせました。そこで金屋町と名付けられました。
高岡が金型や銅器の町として全国に知られるほどに発展したのも、金屋町ができたからです。
いまでは金屋町で営む家はずいぶん少なくなってしまいました。工場や会社が郊外へと移ったからです。

いいつたえ
やがえふ
「やーがえーふ」とうたいながらねりあるく御印祭りは見たことがありますか。西条校下に住む子どもたちなら踊ったことのある子も大ぜいいるでしょう。
やがえふという民謡は鋳物の町、金屋でうまれた作業歌です。地金を溶かすときには、「たたら」という大きな風を送る道具を「いたど」と呼ばれる人々10数人が10時間も一生懸命足で踏むのですが、これがとても大変な仕事だったようです。やがえふは、みんなの疲れた心とからだに元気をつけ、そしてみんなの調子をひとつにそろえるために生まれた歌です。
毎年、6月の前田利長の命日に行われている御印祭りでは、利長公のおかげで町が発展したことに感謝の気持ちを表して踊ります。

こんなところがあるよ
鳳鳴橋(ほうめいばし)


「高岡」と地名は、前田利長が今の古城公園の場所にお城を建てたとき、つけられた地名です。中国の詩経という古い書物のなかに、「鳳凰(ほうおう)鳴けり、かの高き岡に・・・・」という文章がありました。そこで、利長公は「この地にも鳳凰が舞いおりるようなすばらしい町にしたい」と思ったのでしょう、「高岡」と名付けられたのです。
鳳鳴橋には鳳凰と、高岡の由来がきざまれています。探してみましょう。
金屋の千本格子


金屋は古い家並みが今でも大切に残されています。

クイズ
金屋緑地公園(かなやりょくちこうえん)はどんな形でできているかな?

答 え