地名のゆらい
木町
千保川はかつて庄川の本流で、川幅も広く水量も豊富でした。前田利長が高岡にお城と城下町を造るために、富山の木町から材木商人たちを呼び寄せ、「おまえたちの望むところに町をつくっても良い。」と言いました。そこで、商人たちは庄川と小矢部川が合流する今の地にやって来て木町としました。そこは町からはずいぶんと離れていましたが、舟で材木を輸送するのに非常に都合の良い場所だったのです。
やがて、材木だけでなく塩や米など多くのものが陸あげされるようになりました。塩倉町という地名があるのも、運ばれた塩を保管しておく蔵があったからです。このように、木町は高岡の玄関口としての役割をにないました。

いいつたえ
油町のお地蔵さま
油町(今の京町)に瓦ぶきのお堂に安置されたお地蔵さまがおられます。昔、油町の人たちは高岡を治めていたお奉行さまに感謝し、毎年7月24日に法要をいとなみました。それが、現在高岡の各町内で行われている地蔵祭りになったのです。油町の地蔵祭りは元祖なんですね。

こんなところがあるよ
へびの宮
あわら町にある稲荷社は通しょう「へびの宮」、またはあわら町の人たちは「宗九郎さの宮」と呼んでいました。へびの宮はかつては古城公園の小竹やぶの下あたりにありました。
昔、あらわ町に宗九郎という働き者がいた。宗九郎はお城の小竹やぶの下あたりの「蛇沢不湖」と呼ばれていたぬまちをいっしょうけんめい開こんしていた。そのあたりは名前の通りへびが何百匹もウヨウヨといました。そんなところでもなんとかがんばって自分の田んぼにしたいと、がんばって働き、ときには誤ってへびを殺してしまったこともあったでしょう。
信心深い宗九郎はへびのわざわいが無くなるようにと、自分で小さな稲荷社を建てて、毎朝、毎晩、かならずお参りをしていた。
やがて、その稲荷社はあわら町の住民全体の信仰を集めるようになって、「へびの宮」と呼ばれ親しまれるようになりました。
高岡地場産業センター
高岡とその周辺の地域でつくられたクラフト商品やお土産などを紹介・販売しています。なべ祭りで使われている大鍋や歴史資料の展示など幅広く楽しめます。

クイズ
かつてこの地区に盛んだった特産品は何でしょう。

答 え