地名のゆらい
西部金屋(にしぶかなや)
むかし、河内の国の日置庄(ひおきのしょう)というところから、鋳物師(いもじ)たちがこの地にやって来ました。
職人たちは仏像や鐘(かね)、なべ、釜などをつくっていました。
現在では、鋳物師の家はいっけんもありません。

いいつたえ
念仏堂
戸出光明寺には念仏堂があります。そこはかつて「ドンドの山」と呼ばれていました。
むかし、ドンドの山の近くにいつのまにか修験者(しゅげんじゃ)と女が移り住んだ。 まるで乞食のような身なりで、わけのわからない呪文をとなえるので、村人たちは修験者をまったく相手にしなかった。
その年の夏、雨がいっこうに降らない日照りが続いた。このままではせっかくの稲がぜんぶだめになってしまう。ついに、戸隠(とがくし)山の龍神さまに雨ごいをするため、お寺から坊さんを呼んできてお経をあげてもらうことにした。しかし、1週間ねないでお経を唱えたのに雲ひとつ呼べずに、坊さん
はたおれてしまった。
もはやこれまでかと、あきらめかけていた村人たちに修験者は言った。「命を捨てて、何のできんことがあろうぞ。わしが仏の世界に行き、龍神さまにお願いをいたそうぞ。」 村人たちは、こじき行者の言うことは信用できないと、みな帰ってしまった。
それでも修験者はドンドの山のてっぺんに大きな穴を女といっしょに掘り始めた。村人の中でひとりのばあさんだけはこの修験者を信じ、食事の世話などをしてやっていた。
やがて、穴が掘り終わると、修験者はばあさんからゴマ一合をもらい別れをつげた。
「わしらは死ぬのではない。生きるのじゃ。みろくさまの浄土でな。五六億七千万年後にわしら二人は救われるのじゃ。」
二人はゴマ一合と竹筒の水をもち、穴に入って、息抜きをするための竹の棒を一本たてて、上からフタをし、その上からばあさんは土をかけてやった。 三日三晩、呪文と鈴の音が静かにそして次第に細く、チリン、チリンと鳴っていたが、ついに物音ひとつしなくなった。

と、その時、西山の向こうから黒々としたものがみるみるこちらに広がって来て、空一面がおおわれたかと思うと、いっせいに大雨がザンザンと降り始めた。
ばあさんは狂ったように「行者さまが仏になって、雨を呼ばれたぞ!」と村中を叫び回った。村人たちは雨の中、一人二人とドンドの山に集まってきた。そしていつしか村人全員が修験者の穴に向かって念仏を唱えていた。


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行者の雨ごい
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こんなところがあるよ
毘沙門堂・毘沙門杉
毘沙門堂には毘沙門杉の根っこが保存されています。毘沙門杉は樹れい1300年、高さ28メートル、幹の周囲が11メートルもありました。
昭和54年の台風で残念ながらたおれてしまったのです。
なぜ毘沙門杉と言われていたかというと、その昔この地に大きなお寺があり、毘沙門天が安置されていたお堂の近くに生えていたからだそうです。

クイズ
西部金屋は高岡の特産品をつくった7人の職人が住んでいたところです。
どんな職業だったでしょう?

答 え