地名のゆらい
百姓町
千石町はむかしは百姓町(ひゃくしょうまち)と呼ばれていました。かといってお百姓さんが住んでいたわけではありません。すき、くわなどの農具や馬のていてつ、ひりょうなどお百姓さんに必要なものを売るお店がいっぱいあったからです。

長舟町
横田町はむかし長舟町と言われていました。千保川には橋が無くて、中島や川原町へわたるための長舟がたくさんあったからです。

いいつたえ
大長
野村のページでもしょうかいしました大長の石ひが長楽寺にあります。「侠客大長之碑」(きょうかくだいちょうのひ)とかかれています。
大長にはこんなはなしも残されています。 大長は旅のとちゅうでばくち打ちに会った。ばくち打ちは大長が持っていた大金ほしさにばくちを打とうと言う。あんまりしつこいので大長は、 「ばくちは天下のごはっとだ。わたしはばくちなんか大きらいだが、お前さんたち、刀でわたしをおどしてでもこの金を取ろうという気だな。しかたがない、一度だけつきあってやろう。」と言って、道ばたの草を二本ひきぬいて一本をみじかく、一本を長くしてわからないように手に持った。
「もし、お前さんたちが長い方をひいたなら、このお金をそっくりあげよう。しかし、もしみじかいほうをひいたなら、わたしのお金を倍にしていただきますぜ。それともうひとつ、はらうお金がないとしたら、命はないと思え。」
小判のずっしり入ったさいふをドサッと地面にほうり投げると、ふところの刀をにぎり、片手に持った二本の草をズイッとばくち打ちの目の前につきだした。 大長がするどい目でギラリとにらむと、ばくち打ちはたじたじになり、逃げていってしまったとのことです。


こんなところがあるよ
有礒正八幡宮
(ありそしょうはちまんぐう)
大ケヤキ
むかし、有磯にすむ人たちが雨晴の地に来て、有磯の海の守り神として有礒神社をたてました。その後、ある日大じしんがおきて海に沈んでしまったので(太田)、今の古城公園の小竹やぶのあたりにうつされましたが、そこに高岡城がつくられることになったので、横田の八幡宮といっしょになり、有礒正八幡宮となりました。お宮をかこむ石がきは、お城をつくるときといっしょにつくられたものです。
また、境内(けいだい)にはご神木(しんぼく)「親子だきあいの大ケヤキ」があります。

クイズ
江戸時代、高岡に西の出入り口であるそんきょ場があったのは何町でしょう。

答 え