瑞龍寺ビデオ紹介
解説者:瑞龍寺副住職 四津谷道宏さん
総門 <2分17秒>
伽藍(がらん)の説明 <1分10秒>
山門(1) <1分00秒>
山門(2) <0分17秒>
全体の風景 <0分23秒>
仏殿の外観 <1分04秒>
仏殿の内部(ご本尊) <2分53秒>
仏殿の内部(天井) <1分18秒>
法堂(はっとう) <0分30秒>
ご位牌(いはい) <1分31秒>
らんま <1分47秒>
うすさま明王さま <1分12秒>
回廊と座禅堂
(かいろうとざぜんどう)
<1分45秒>
※ビデオ映像はCDロム版でのみご覧になれます。

総門(そうもん)
 
総門前の右側(みぎがわ)に、文字をほった石の柱がたっています。「くんしゅ山門に入るを許さず」とよみます。寺の中は清らかな場所だからにおいの強い野菜(やさい)と酒を持ち込んではいけないという意味(いみ)です。この総門は山間薬医門(さんけんやくいもん)の形式(けいしき)で大きな板の扉(とびら)にはいくつもの金具(かなぐ)が打ってあります。また薬医門をひらがな読みすると、「やくいもん」つまり矢をくいとめる門ということです。寺の門というよりも、城(しろ)の門のようです。東京大学の赤門が有名ですが
、それは加賀藩(かがはん)の屋敷跡(やしきあと)の門で、これも薬医門で、赤くぬられているので赤門といわれています。
総門をくぐると、広々とした左右に白い砂利(じゃり)がしきつめた空間が現れます。 かつて、この空間は右に浴室(ふろ)左に七間浄頭(トイレ)がありました。
総門から見ると、正面に山門が、左右に回廊(かいろう)が伸び、その向こうに禅堂(ぜんどう)と大庫裏(おおぐり)の屋根(やね)が見えます。その風景(ふうけい)は十円玉の絵ににています。
山門(さんもん)
 
 
山門の左右に仁王様(におうさま)がいます。右の口をあけているのが「あぎょう」、左の口をとじているのが「うんぎょう」、左右あわせて「あうん」です。五十音ではじめが「あ」でさいごが「うん」です。ちなみに、二人のタイミングが、ぴったりあうことを「あうんの呼吸(こきゅう)」といいます。

金剛力士像

山門

仏殿(ぶつでん)
 

 

 

山門の正面に建っているのが仏殿で、ここが瑞龍寺の中心です。屋根(やね)が白く光って見えるのは、鉛瓦(なまりがわら)だからです。この鉛瓦の屋根の重さは47トンもあり、この重さを支えるために十分な基礎(きそ)がされました。鉛がふいてあるのは大変めずらしく、全国でも瑞龍寺の仏殿と今はなき金沢城(かなざわじょう)の石川門だけしかありません。仏殿の正面に「大雄殿(だいゆうでん)」と書かれた額(がく)があります。
この意味(いみ)は、「ここは仏の宮殿(き
仏殿内部
ゅうでん)である」。隠元(いんげん)という中国から来た僧(そう)が書いた文字で、仏教(ぶっきょう)の一つをひろめました。
野菜(やさい)のインゲンマメは、隠元(いんげん)が日本へもたらしたのでなずけられました。

仏殿外部

鉛瓦の屋根
法堂(はつとう)
 
瑞龍寺で一番大きな建物です。法堂内の正面に「瑞龍寺」の額(がく)がかかっていますが、これも隠元(いんげん)が書いたものです。
回廊(かいろう)
 
回廊は山門から左右にのび一周すると
約(やく)300メートルも歩くことになります。
禅堂(ぜんどう)
 
瑞龍寺は前田利長(まえだとしなが)を供養(くよう)するために建てられましたが、多くの若い僧(雲水うんすい)の修行(しゅぎょう)の寺としても開放(かいほう)されていました。禅堂は雲水(うんすい)たちが座禅(ざぜん)をしたり、食事(しょくじ)をしたり、ねむったりした場所です。雲水(うんすい)一人に1枚の畳(たたみ)があたえられ、壁(かべ)に向かい座禅(ざぜん)をしていました。
座禅(ざぜん)の区切りの時間をいっしゅうと言います。いっしゅうとは、線香(せんこう)がもえつきる間(約45分)をいいます。禅堂の周りに回廊(かいろう)があります。
それは、座禅の小休止(しょうきゅうし)に足のしびれをやわらげるのに歩くためです。
禅堂の前の回廊(かいろう)に、木でできた魚がつるしてあります。これをたたいて食事の合図(あいず)

手前が禅堂
をしていたようです。今のチャイムや時計の役目(やくめ)です。
大庫裏(おおぐり)
庫裏とは食事の準備(じゅんび)をする台所(だいどころ)であり、また事務所(じむしょ)です。とくに火を使う場所なので漆喰(しっくい)をぬった土天井(つちてんじょう)で防火対策(ぼうかたいさく)がしてあります。
画面右が大庫裏
大茶堂(だいさどう) みんなが集まり場所であり、また客をもてなすところです。ここは、住職(じゅうしょく)が住む建物(たてもの)と裏(うら)でつながり、かまどのある大庫裏(おおぐり)とも回廊(かいろう)でむすばれています。そのため、どちらかで火事がおきてもここで火を止める防火建築(ぼうかけんちく)になっています。それは、前田利長(まえだとしなが)の位牌(いはい)がある法堂へ火がもえうつらないように工夫されているのです。
石廟(せきびょう)
禅堂(ぜんどう)の手前のとびらから裏庭(うらにわ)に出ると、「石の廟(びょう)」お墓がならんでいます。全部で5基あり右から前田利長・前田利家・織田信長・信長の奥さん・信長の子信忠の順です。信長の墓は全国各地(ぜんこくかくち)に20ヶ所以上ありますが瑞龍寺の廟が一番立派(りっぱ)といわれています。
前田墓所
 (まえだぼしょ)
利常が利長の33回忌にこの墓を作り始め50回忌に完成しました。墓は石を3段につんだとても大きなお墓で、全国でも3大大名墓所(さんだいだいみょうぼしょ)の一つです。